資本論を読むことになってしまった

分からないことだらけの、この何ともいえないモヤモヤ感は・・・。

(32)Ⅰ版本文 パラグラフ9-1

Ⅰ版本文 パラグラフ9

①Dass die Substanz des Tauschwerths ein von der physisch-handgreif-

lichen Existenz der Waare oder ihrem Dasein als Gebrauchswerth

durchaus Verschiednes und Unabhängiges, zeigt ihr Austauschverhältniss

auf den ersten Blick. ②Es ist charakterisirt eben durch die Abstraktion

vom Gebrauchswerth. ③Dem Tauschwerth nach betrachtet ist näm-

lich eine Waare grade so gut als jede andre, wenn sie nur in richtiger

Proportion vorhanden ist.

 

①文について

「交換価値の実体は、物理的で手に取ることができる商品の存在や使用価値としての定在とは全く異なる、独立したものであることを、その交換関係が一目で分かるように示している。」

 

井上・崎山論文では、パラグラフ7の二つの商品に同じ「価値」が現れており、それらが還元される「第三のもの」は価値実体としての「労働」であると解釈されている。それに基づいてここでの「交換価値の実体」は「労働」として理解されている。そして、ここでの文脈では内容的に「交換価値」でなければならない『初版の「交換価値の実体」という表現は明らかに間違い』であると断言している。

この難点を避けるには、Dass die Substanz des Tauschwerthsを同格的に訳して「交換価値という(使用価値の)実体」と読むしかないのだろうが、ここでは「交換価値の実体」が何であるかの議論はおいておく。「価値実体」が「労働」であるという展開は、テキスト上まだなされていない以上、内容の先取りになるからである。

 

「物理的で手に取ることができる商品の存在や使用価値としての定在」はⅡ版の「商品の自然的特性(natürliche Eigenschaft der Waaren)」、フランス語版の「それらの自然的性質(leurs qualités naturelies」と同じ内容を表している。「交換価値の実体」を同格的に読む限りで、これ以降の内容とのつながりが保たれる。

 

②文について

「それ(=交換関係)は、まさに使用価値の捨象によって特徴付けられる。」

交換関係が使用価値の捨象を通して成立するのであれば、上で示された「自然的属性」とは異なるものが現れているわけである。それが「交換価値の実体」である。

 

③文について

「交換価値という側面からみれば、ある商品が正しい割合で存在しさえすれば、他の商品とちょうど同じだからである。」

この展開はパラグラフ5の①文

①Der Tauschwerth erscheint zunächst als das quantitative Verhältniss, die Proportion, worin sich Gebrauchswerthe einer Art gegen Gebrauchswerthe anderer Art austauschen, ein Verhältniss, das beständig mit Zeit und Ort wechselt.

「まず、交換価値は量的な関係として、すなわちある使用価値がそこにおいて他の使用価値と交換される比率として、時と場所によって絶えず変転する関係として現象する。」

と同じ構造である。ここでは使用価値は捨象され、交換価値の量的な関係が現れている。

既に出てきた商品交換の例でいえば、1クウォーターの小麦とaツェントナーの鉄の交換関係において、「1クウォーターの小麦とaツェントナーの鉄」が正しい割合で存在する「ある商品」と「他の商品」(Ⅱ版、フランス語版では"使用価値"〔Gebrauchswerth, valeur d'utilitè〕)であり、それらが交換されたということから両者は「同じ」だといえる。そこでは、商品の「自然的属性」は考慮されてはおらず、その量のみが意味を持っていることになる。