資本論を読むことになってしまった

分からないことだらけの、この何ともいえないモヤモヤ感は・・・。

(22)Ⅰ版本文 パラグラフ7

Ⅰ版本文 パラグラフ7

①Nehmen wir ferner zwei Waaren, z. B. Weizen und Eisen. ②Welches

immer ihr Austauschverhältniss, es ist stets darstellbar in einer Gleichung,

worin ein gegebenes Quantum Weizen irgend einem Quantum Eisen gleich

gesetzt wird, z. B. 1 Quarter Weizen = a Ctr. Eisen. ③Was besagt

diese Gleichung? ④Dass derselbe Werth in zwei verschiednen

Dingen, in 1 Qrtr. Weizen und ebenfalls in a Ctr. Eisen existirt. ⑤Beide

sind also gleich einem Dritten, das an und für sich weder das eine, noch

das andere ist. ⑥Jedes der beiden, soweit es Tauschwerth, muss also, un-

abhängig von dem andern, auf diess Dritte reducirbar sein.

 

①文について

「さらに二つの商品、例えば小麦と鉄をとってみよう。」

 fernerは「さらに」というよりは、「次に」とか「目を転じて」くらいの意味合いだろうか。前の段落が「一対多」について述べ、その関係の在り方を示したので、「今度は任意の二つの商品の関係を考えましょう。」というつもりなのだろう。ここで、任意の商品の関係は「一対一」になる。ここからの展開が重要。

 

②文について

「その交換関係がどのようなものであれ、それ(その交換関係)は、常にひとつの等式で、ある与えられた量の小麦がある量の鉄と等置されるような、例えば1クウォーターの小麦=aツェントナーの鉄のような等式で記述されうる。」

二つの商品が交換関係の中に置かれる。そしてその関係の中に置かれたとたんにお互いに等しいものとされる。交換関係の成立と商品の等しさは同時なのである。商品が交換されたということから、それらが等しかったということが確認される、ということであるだろう。この等しさは交換が成立する要件といえるが、これは原因結果の関係ではなく、交換と等しさが根底で支えあっているというイメージと言ってだろう。あるいは、交換関係の内実はこの等しさである、ということだろ。パラグラフ6も交換の話からスタートしていたではないか。

言い方をかえれば、「交換する」と「二つの商品が等しい」は一つの事態の異なる表現なのだと思う。

どちらにしろ、マルクスの展開からすると「等しいから交換される」という事態では決してないだろう。

 

③文について

「この等式は何を意味しているのか」

④文への移行のためのパラグラフ。

 

④文について

「同じ価値が、二つの異なる物のうちに、すなわち1クウォーターの小麦のうちに、同様にまたaツェントナーの鉄のうちに存在していること、これを意味している。」

交換されたのであるから、二つの商品は「同じ価値」をもっている。

 

⑤文について

「したがって両者はある第三のものに等しいのだが、その第三のものはそれ自体としては、両者の一方でも、また他方でもないのである。」

「したがって」という語がなぜこの記述の流れで使用可能なのか。

すでにパラグラフ6で

という関係を見たわけであるが、ここでの2商品は、この図の「x量の靴墨」と「y量の絹」にあたる。そして「第三のもの」は「1クウォーターの小麦」にあたるわけだ。つまり、「x量の靴墨」と「y量の絹」のもつある大きさはそれらとは別のもの(1クウォーターの小麦)として存在しているという構図である。

図式的にはわかりやすいのだが、ここで注意しておくべきことがある。④文にでてきた「二つの異なる物のうちに」ある「同じ価値」と⑥文の「第三のもの」は同じではないということだ。上の図式に対応して書けば、次のようになる。

「1クウォーターの小麦」が「aツェントナーの鉄」と交換されたということから、この両者はそれぞれに同じ価値を持っているといえる。そして、両者が交換される前にはなかったものが、交換が成立したとたんに現れたのだから、両者が持つとされるこの価値は両者の規定から出てきたものではないだろう。それは「1クウォーターの小麦」、「aツェントナーの鉄」とは別のところに由来しなければならない。パラグラフ6で「多様なもの」に対する「ただ一つのもの」という構図をみたが、ここでの「第三のもの」が「ただ一つのもの」にあたるのだ。そして、この「第三のもの」はただ大きさだけを持ち、そのほかの一切の規定を持たないはずである。

 

⑥文について

「したがって両者の各々は、交換価値である限り、他方のもから独立にこの第三のものに還元可能でなければならない。」

「両者の各々」(「1クウォーターの小麦」と「aツェントナーの鉄」)はそれぞれが他方のものとは関係なしに「第三のもの」に還元できる。⑤文でしめした「同じ価値」は他方のものから与えられたわけではない。それは交換が成立したとたんに両者の中に生じたのである。したがって、一方の価値の由来をたどるために他方を介することはできない。そして、ここでの「還元可能(reducirbar)」は「それが由来するところのものを開き示すことが可能な」という意味だろう。