資本論を読むことになってしまった

分からないことだらけの、この何ともいえないモヤモヤ感は・・・。

(32)Ⅰ版本文 パラグラフ9-2 Ⅱ版とフランス語版の対応箇所を確認する(1) 訳

Ⅱ版

Diess Gemeinsame kann nicht eine geometrische, physische, chemische

oder sonstige natürliche Eigenschaft der Waaren sein. Ihre körperlichen

Eigenschaften kommen überhaupt nur in Betracht, soweit selbe sie nutzbar

machen, also zu Gebrauchswerthen. Andrerseits ist aber das Austausch-

verhältniss der Waaren augenscheinlich charakterisirt durch die Abstraktion

von ihren Gebrauchswerthen. Innerhalb desselben gilt ein Gebrauchswerth

grade so viel wie jeder andre, wenn er nur in gehöriger Proportion vor-

handen ist. Oder, wie der alte Barbon sagt: „Die eine Waarensorte ist

so gut wie die andre, wenn ihr Tauschwerth gleich gross ist. Da existirt

keine Verschiedenheit oder Unterscheidbarkeit zwischen Dingen von gleich

grossem Tauschwerth" 8). Als Gebrauchswerthe sind die Waaren vor

allem verschiedner Qualität, als Tauschwerthe können sie nur verschiedner

Quantität sein, enthalten also kein Atom Gebrauchswerth.

 

この共通のものは、商品の幾何学的、物理的、化学的、その他の自然的特性でありえない。その物体的特性は、それが商品を有用なものにする限り、すなわち使用価値にする限りにおいてのみ考慮される。しかし他方で、商品の交換関係は、その使用価値の捨象によって明らかに特徴づけられる。その交換関係の中で、ある使用価値は、それが適切な割合で存在しさえすれば、他のどの使用価値とも同じなのである。老バーボンが言うように「交換価値が同じであれば、ある種類の商品も他の種類の商品と同じである。交換価値が等しいものの間には違いも区別もない」のである。使用価値として諸商品は、何よりも異なる質であり、交換価値としては諸商品は、異なる量であって、それゆえほんのかけらの使用価値も含まないのである。

 

フランス語版

Ce quelque chose de commun ne peut être une propriété naturelle quelconque,

géométrique, physique, chimique, etc., des marchandises. Leurs qualités

naturelles n'entrent en considération qu'autant qu'elles leur donnent une

utilité qui en fait des valeurs d'usage. Mais d'un autre côté il est évident

que l'on fait abstraction de la valeur d'usage des marchandises quand on

les échange et que tout rapport d'échange est même caractérisé par cette

abstraction. Dans l'échange, une valeur d'utilité vaut précisément autant

que toute autre, pourvu qu'elle se trouve en proportion convenable. Ou

bien, comme dit le vieux Barbon : « Une espèce de marchandise est aussi

bonne qu'une autre, quand sa valeur d'échange est égale; il n'y a aucune

différence, aucune distinction dans les choses chez lesquelles cette valeur

est la même1.» Comme valeurs d'usage, les marchandises sont avant tout

de qualité différente; comme valeurs d'échange, elles ne peuvent être que de

différente quantité.

 

この共通のものは、商品の幾何学的、物理的、化学的などの自然的属性ではありえない。その自然的性質が考慮されるのは、それが使用価値を生む有用性を与える限りにおいてのみである。しかし他方で、商品の使用価値は、それらが交換されるときには捨象され、あらゆる交換関係がこの捨象によって特徴づけられることは明らかである。交換において、ある使用価値は、それが適切な比率である限り、他のどの使用価値と同じだけの価値がある。あるいは、老バーボンが言うように、「交換価値が同じであれば、ある種類の商品も他の種類の商品と同じである。使用価値として商品は、何よりも異なる質であり、交換価値として商品は、異なる量でありうるにすぎない。

(32)Ⅰ版本文 パラグラフ9-1

Ⅰ版本文 パラグラフ9

①Dass die Substanz des Tauschwerths ein von der physisch-handgreif-

lichen Existenz der Waare oder ihrem Dasein als Gebrauchswerth

durchaus Verschiednes und Unabhängiges, zeigt ihr Austauschverhältniss

auf den ersten Blick. ②Es ist charakterisirt eben durch die Abstraktion

vom Gebrauchswerth. ③Dem Tauschwerth nach betrachtet ist näm-

lich eine Waare grade so gut als jede andre, wenn sie nur in richtiger

Proportion vorhanden ist.

 

①文について

「交換価値の実体は、物理的で手に取ることができる商品の存在や使用価値としての定在とは全く異なる、独立したものであることを、その交換関係が一目で分かるように示している。」

 

井上・崎山論文では、パラグラフ7の二つの商品に同じ「価値」が現れており、それらが還元される「第三のもの」は価値実体としての「労働」であると解釈されている。それに基づいてここでの「交換価値の実体」は「労働」として理解されている。そして、ここでの文脈では内容的に「交換価値」でなければならない『初版の「交換価値の実体」という表現は明らかに間違い』であると断言している。

この難点を避けるには、Dass die Substanz des Tauschwerthsを同格的に訳して「交換価値という(使用価値の)実体」と読むしかないのだろうが、ここでは「交換価値の実体」が何であるかの議論はおいておく。「価値実体」が「労働」であるという展開は、テキスト上まだなされていない以上、内容の先取りになるからである。

 

「物理的で手に取ることができる商品の存在や使用価値としての定在」はⅡ版の「商品の自然的特性(natürliche Eigenschaft der Waaren)」、フランス語版の「それらの自然的性質(leurs qualités naturelies」と同じ内容を表している。「交換価値の実体」を同格的に読む限りで、これ以降の内容とのつながりが保たれる。

 

②文について

「それ(=交換関係)は、まさに使用価値の捨象によって特徴付けられる。」

交換関係が使用価値の捨象を通して成立するのであれば、上で示された「自然的属性」とは異なるものが現れているわけである。それが「交換価値の実体」である。

 

③文について

「交換価値という側面からみれば、ある商品が正しい割合で存在しさえすれば、他の商品とちょうど同じだからである。」

この展開はパラグラフ5の①文

①Der Tauschwerth erscheint zunächst als das quantitative Verhältniss, die Proportion, worin sich Gebrauchswerthe einer Art gegen Gebrauchswerthe anderer Art austauschen, ein Verhältniss, das beständig mit Zeit und Ort wechselt.

「まず、交換価値は量的な関係として、すなわちある使用価値がそこにおいて他の使用価値と交換される比率として、時と場所によって絶えず変転する関係として現象する。」

と同じ構造である。ここでは使用価値は捨象され、交換価値の量的な関係が現れている。

既に出てきた商品交換の例でいえば、1クウォーターの小麦とaツェントナーの鉄の交換関係において、「1クウォーターの小麦とaツェントナーの鉄」が正しい割合で存在する「ある商品」と「他の商品」(Ⅱ版、フランス語版では"使用価値"〔Gebrauchswerth, valeur d'utilitè〕)であり、それらが交換されたということから両者は「同じ」だといえる。そこでは、商品の「自然的属性」は考慮されてはおらず、その量のみが意味を持っていることになる。

「費消」、すまない! あなたをみくびっていた。

今回、また入院した際、病室に岩波文庫版『資本論』を持ち込む。入院が長引きそうなときはとにかく読み終わらない本を持ち込むことにしている。

最初から読むといろいろと気になることが出てくる。

以前、「費消」について誤植だと断言したが、どうやらそれは間違いだったようだ。

他の場所で「費消」が使われているのを発見したからだ。一ヵ所ではないということは意図的に訳語として使用しているということだ。

岩波文庫版『資本論』(向坂逸郎訳)の第1分冊P88の前から6行目にでてくる。ただし、これは第2版への注。しかも英語文献からの引用で、原語はcostである。以前の「費消」はvernutzenの訳だったが、意味的には近い。

おそらく、これからでてくる(消費Verbrauch、消費するverbrauchen)と区別するためにこの訳語にしたのだろう。

「費消」すまない。何十年も逃げ隠れしていたみたいに言ってしまった。

あなたをみくびっていました。

入院が重なるなあ。

昨年の12月中旬から今年の2月中旬にかけてのおよそ2か月、また入院してました。

以前患った肺炎が再燃。

まったく、なんてことだ。脳梗塞で6月に入院。やっと退院してリハビリやってたら、今度は肺炎ですと。

ステロイドで炎症を抑える対処療法しかない肺炎なので、前回の肺炎から徐々に薬を減らしてきていたのですが、振出しに戻って、また最初からです。

入退院を繰り返すたびに、活力といいますか、生命力といいますか、とにかくパワーが失われていく感じです。

こんな調子で、資本論読めるのだろうか。

脳梗塞(4) はっ?「現象学」だって!?

手のリハビリを担当している療法士さんのいうことには、私の体のうまく動かない状況を現象学的に解釈し、動く左側との差異を自覚することを通してリハビリを進めていくのだそうな。

その昔読んだフッサールメルロ=ポンティのことがよみがえり、リハビリがけっこうおもしろい。しかも、比喩ではなく現象学の用語で自分の状況を説明したほうが話がはやい。

脳梗塞の影響が言語などの高次機能にでなかったのは本当にありがたいことだと思う。

病気は「最悪」だが、こんなところで知的な刺激を受けるのは「最高」といったところ。

最悪だけど最高という変な状況である。

脳梗塞(3) 車、廃車しました。

右足の動き具合を考えて、車の運転をあきらめました。

瞬間的にブレーキを踏むなどということができそうにありません。

ひとさまを危険にさらすわけにはいきません。

ということで、廃車手続き完了。

 

JR、私鉄、コミュニティバスともに自宅の玄関を出て5分程度の位置にあるという恵まれた環境で生活しているにもかかわらず、自分の好きな時に動けないという点で不便は感じる。

車というのはほんとうに便利な道具だったのだと改めて感じている次第。

(31)Ⅰ版本文 パラグラフ8-3(久しぶりの資本論)

まず、②文、③文の多角形と三角形の捉え方から。

それぞれの多角形を三角形で表すと、それぞれ次のような表現で表せると思う。

ここでこの三角形は、それぞれの多角形に応じて異なる規定(大きさ、辺の長さ、角度、等々)を持っている。したがってこの表現では多角形の面積を定めることもできないし、比較することもできない。

そこで、この三角形を「das halbe Produkt seiner Grundlinie mit seiner Höhe(底辺と高さの積の半分)」を用いて表現すると(とりあえずこの表現であることを示すために△を用いることにする)、

2つの三角形の四角形 → 2△量の四角形(面積公式で表せる2つの三角形からなる

                                               四角形)

3つの三角形の五角形 → 3△量の五角形(面積公式で表せる3つの三角形からなる

                                               五角形)

4つの三角形の六角形 → 4△量の六角形(面積公式で表せる4つの三角形からなる

                                                六角形)

と表現できる。

2△、3△、4△はそれぞれ「ある大きさ」を示している。つまり、公式そのものには「大きさ」はないが、それを使って表現される三角形には「大きさ」があるということだ。そしてこのことによって多角形の面積を定めたということができる。さらに、「面積公式」という共通の表現様式に従って示されているので、比較可能だといっていい。

 

④文解釈

「同様に、諸商品の諸交換価値は、ある共通のものに還元されるのであるが、その諸交換価値がその共通なものに関して「多い、少ない」を表しているのである。」

(1) 青文字部分

◎ ②③文との対応関係を見ると、「共通なもの」は交換価値に対して外的である。

◎ ここで「共通のもの」は交換価値が由来するところのものとして開き示されていることになる。すなわち、交換価値はその「共通なもの」に還元されている。

(2) 赤文字部分

◎「共通なもの」が指し示す「多い、少ない」が交換価値において表現されている。

 

こんな読み方でいいのだろうか。

少なくともマルクスが「還元」の説明として三角形の具体例を叙述したとすると、大部分の問題は消えるように思えるのだが・・・