資本論を読むことになってしまった

分からないことだらけの、この何ともいえないモヤモヤ感は・・・。

(25)再解釈 Ⅰ版本文 パラグラフ6-2

再解釈 Ⅰ版本文 パラグラフ6-2

そして、ここではそれぞれの商品は同等であり、それぞれが「1クウォーターの小麦の交換価値」の役割をはたすことができる。このパラグラフが「例えば」ではじまって「1クウォーターの小麦の交換価値」をもちだしたのであるから、これが「x量の靴墨」で始まってもよかったはずだ。他の諸表現様式(x量の靴墨、y量の絹、z量の金)が特別な位置にたてるわけだ。

すると、このパラグラフで何が示されているのは、1クウォーターの小麦が他の商品と結びつくことで結節点(ハブ)になっているということ、そしてほかのどの商品でもこの結節点になれるということではないだろうか。図式的に示すと次のようになる。

だから、x量の靴墨、y量の絹、z量の金どうしの関係は、1クウォーターの小麦をハブとすることで理解できるとことになる。

結節点(ハブ)のイメージを明確にした図式は次のようになるだろう。

それぞれの商品の一つがハブになり、そのほかのものが「枝」になっている。これを「交換系」と呼ぶことにする。そしてこの関係が認められるならば、この図に現れていないほかの商品との関係を含めて考えると、次のような関係も可能であることがわかる。

左は商品7と商品6はそれぞれ二つのグループ交換系に存在しているように見えるが、商品1がハブである限り両者は商品1をハブとする商品系に属する。商品12がハブの場合はその商品系に属する。また、このような関係の仕方とは別に、右のように共通の商品を含まない様々なグループどうしがつながっていてもいいはずである。いずれにしても、このような商品のつながりを認めるならば、ある商品の背後には「交換関係の海」が広がっているといえる。

そして、この「交換関係の海」においては

商品の関係は、

a 関係を持たない、

b 枝どうしの直接的関係、

c 枝とハブの直接的関係、

d ハブを結節点とした枝の間接的関係、

のいずれかであると言える。さらに、そしてこれは重要なのだが、

同じ交換系においてのみ、任意の二つの商品の「枝同士の直接的関係」は可能である。

任意の二つの商品が「枝同士の直接的関係」である場合、両者は共通のハブを持つ。

隣接する二つの商品が同時にハブであることはない。

と言える。

 

ここでの交換に関しては、「同じ」とか「等しい」とか「等式」という概念を持ち込むことはできない。この章の最初からこのパラグラフまで、マルクスはgleich とかGleichungとかgleichsetzenなどの語を1回も使用していないからだ。

ここでの交換を等式とみなせないとなると、このパラグラフでは、「交換関係の海」=「関係の枠組み」が示され、その内実は次のパラグラフで一挙に示される、という展開になる。そしてこの「交換関係の海」という枠組みなしには、次のパラグラフの内容は成立しなくなる。このパラグラフを軽く扱うのはよろしくない気がする。「多くの商品の交換関係が存在する」という理解だけでは、次のパラグラフの「共通のもの」や「第三のもの」を支えるものがなくなるからだ。支えるものがなくなったら、ここから先の展開が終わってしまう。