資本論を読むことになってしまった

分からないことだらけの、この何ともいえないモヤモヤ感は・・・。

ベーム・バヴェルクの件(7)資本論2版解釈

青文字パラグラフ

おそらくマルクスの議論の中でも、反マルクスの人から問題ありとされるパラグラフ。

„①Sieht man nun vom Gebrauchswert der Warenkörper ab, so bleibt ihnen nur noch eine Eigenschaft, die von Arbeitsprodukten. ②Jedoch ist uns auch das Arbeitsprodukt bereits in der Hand verwandelt. ③Abstrahieren wir von seinem Gebrauchswert, so abstrahieren wir auch von den körperlichen Bestandteilen und Formen, die es zum Gebrauchswert machen. ④Es ist nicht länger Tisch oder Haus oder Garn oder sonst ein nützlich Ding. ⑤Alle seine sinnlichen Beschaffenheiten sind ausgelöscht. ⑥Es ist auch nicht länger das Produkt der Tischlerarbeit oder der Bauarbeit oder der Spinnarbeit oder sonst einer bestimmten produktiven Arbeit. ⑦Mit dem nützlichen Charakter der Arbeitsprodukte verschwindet der nützliche Charakter der in ihnen dargestellten Arbeiten, es verschwinden also auch die verschiedenen konkreten Formen dieser Arbeiten; sie unterscheiden sich nicht länger, sondern sind allzusamt reduziert auf gleiche menschliche Arbeit, abstrakt menschliche Arbeit.“

 

①文について

「今、商品体の使用価値を度外視すれば、商品体には労働生産物という一つの性質だけが残る。」

使用価値(商品体がもつ諸規定)が捨象されると、残るものはそれが「労働によって生産されたもの」であるという性質だけである。だからといってここで終わるわけではない。なぜなら、労働生産物はその生産物であるということから発する諸特性を持ってるからである。

 

②文について

「しかし、その労働生産物も、すでに私たちの手の中で変化している。」

③文へのつなぎのパラグラフではあるが、「労働によって生産されたもの」であるという在り方そのものが「すでに」変化していると叙述されていることに注意がいるだろう。使用価値の捨象と同時に、この在り方が「すでに」変化していることになるからである。

 

③文について

「その使用価値を抽象化すれば、それ(労働生産物)を使用価値とする物質的な構成要素や、諸形態も抽象化することになる。」

交換関係に置かれたとたんに、その使用価値は度外視されたが、この労働生産物であることから発する諸性質も同時に捨象されるということ。

 

④文について

「それはもはやテーブルでも家でも毛糸でも、その他の有用なものでもない。」

テーブル、家、毛糸などの「労働の結果として生じたもの」という諸性質は捨象される。

 

⑤文について

「その感覚的な性質はすべて消滅している。」

商品が持っている諸性質(感覚的に捉えられる諸性質)が捨象されているということ。

 

⑥文について

「また、家具を作る労働や建築という労働、紡績という労働の産物でもなく、それ以外の一定の生産的労働の産物でもない。」

労働の具体的側面(どのような労働であるかということ)も捨象されることに注意。商品に現れている諸性質が、労働の結果としてあらわれる性質も含めて捨象される。そしてこの労働の結果としてあらわれる性質の捨象が、労働の過程の捨象を伴うのである。

 

④⑤⑥文まとめ

使用価値の捨象によって、労働生産物であることから発する諸特性(テーブル、家、毛糸であるということ)は捨象され、それを生み出した個々の労働の具体的な側面(家具を作る労働や建築という労働、紡績という労働)も捨象される。

 

⑦文について

「労働生産物の有用な性格とともに、そこ(労働生産物)に表現される労働の有用な性格も消え、したがって、この労働のさまざまな具体的形態も消える。それら(労働生産物)はもはや区別されず、すべて一緒に同じ人間的な労働、抽象的に人間的な労働に還元される。」

労働生産物の諸性質も捨象されることと、労働過程そのものの具体的側面の捨象が同時に起こっている。

もちろんここで商品という物質的な存在と労働という非物質的なものが勝手につなぎ合わされている、というような批判は成立しない。商品は「労働生産物」であり、「労働によって生産されたもの」なのである。たとえば、商品としてのテーブルは「テーブルを作るという労働によって生産されたテーブル」である。テーブルのもつ感覚的な性質が捨象されたとすると、これは「***を作る労働によって生産された***」と表現されるようなものになる。ここには労働という生産行為しか存在しない。

ここで、「労働生産物」の在り方が由来するところのものが開き示されているのである(=労働生産物が人間労働に還元されている)。

さらに、「等しい人間的な労働」の「等しい」は「還元されたものとして」同じであるということだろう。また、「抽象的に人間的な労働」の「抽象的に人間的な」はテーブル作成者のような「個々の人間の労働」という具体的労働はすでに捨象されていることを意味している。

 

赤パラグラフとの関係でみると、交換関係に置かれた二つの商品は、それぞれ異なる諸性質(使用価値)を持ちながら交換される。その時二つの商品には同じ大きさの共通のものが存在する(立ち現れる)。これが交換価値にあたるが、これが第三のものとしての抽象的人間労働に還元される(その由来するところのものが開き示される)のである。