資本論を読むことになってしまった

分からないことだらけの、この何ともいえないモヤモヤ感は・・・。

(16)Ⅰ版本文 パラグラフ1

Ⅰ版本文 パラグラフ1

①Der Reichthum der Gesellschaften, in welchen kapitalistische Pro-

duktionsweise herrscht, erscheint als eine „ungeheure Waarensammlung“1),

die einzelne Waare als seine Elementarform. ②Unsere Untersuchung

beginnt daher mit der Analyse der Waare.

 

①文について

「資本主義的生産様式が支配的であるような社会の富は莫大な商品集積として現れ、個々の商品はその要素形態として現れる。」

前半部分

「資本主義的生産様式が支配的であるような社会」とあるのだから、この生産様式において現れる商品は生産物であるということになる。序文において、資本論の研究対象として

「資本主義的生産様式」

「(その生産様式に応じた)生産諸関係」

「(その生産様式に応じた)交通(行き来?)諸関係」

という資本主義社会の要素を挙げていたので、そこにおいて「商品」が取り扱われるとしたら、それは、「資本主義的生産様式」において生産され、行き来する(verkehren)商品となるはずだからだ。そして、そのような商品の莫大な集積が社会の富であるわけだから、

後半部分

「個々の商品はその要素形態として現れる」のは自然なながれである。

 

②文について

「したがって我々の探求は商品の分析をもって始まる。」

①文の話から、「商品」が出発点だというのは理解できる。

このパラグラフは、生産物としての商品の分析をやります、ということですから、この議論の流れに「生産物ではない財」が含まれないといって批判することは、外的な批判になってしまう。資本論内部の論理構造を批判することにならないので、あまり有効性のない批判になる。