資本論を読むことになってしまった

分からないことだらけの、この何ともいえないモヤモヤ感は・・・。

ベーム・バヴェルクの件(8)資本論2版解釈

紫文字パラグラフ

①Betrachten wir nun das Residuum der Arbeitsprodukte. ②Es ist nichts von ihnen übrig geblieben, als dieselbe gespenstige Gegenständlichkeit, eine bloße Gallerte unterschiedsloser menschlicher Arbeit, d.h. der Verausgabung menschlicher Arbeitskraft ohne Rücksicht auf die Form ihrer Verausgabung. ③Diese Dinge stellen nur noch dar, daß in ihrer Produktion menschliche Arbeitskraft verausgabt, menschliche Arbeit aufgehäuft ist. ④Als Kristalle dieser ihnen gemeinschaftlichen gesellschaftlichen Substanz sind sie – Werte.

 

①文について

「では、諸労働生産物に残っているものを考察してみよう。」

「諸労働生産物に残っているもの」は前パラグラフの「抽象的に人間的な労働」であり、ここからその分析が始まる。

 

②文について

「諸労働生産物にはもはや、同じ幽霊のような対象性しか残っておらず、区別のない人間の労働の凝固物、すなわち、その支出の形態を考慮しない、人間の労働力の支出のただの凝固物以外の何物も残っていないのである。」

A 商品において諸規定が捨象されるという視点から

「幽霊のような対象性」とは、前のパラグラフ(ベ・バの件(7)青パラグラフ)で「感覚的な性質はすべて消滅している」事態を指している。「感覚的な性質」が捨象されれば、そこには何かはあるが、感覚的には捉えられないということになる。諸労働生産物のそれぞれに、「感覚的な規定を一切持たないが、対象としては存在するもの」が同じように存在しているのである。このような状態を「幽霊のような(gespenstig)」と呼んでいるのである。

B 労働の結果として「もの」は存在する

「区別のない人間の労働の凝固物」の「区別のない」、「感覚的性質」が捨象されているので区別を可能にする諸規定が存在していないことを意味する。「凝固物」は誤解を招きやすい言い方だとはおもうが、比喩ではない。労働生産物として商品は存在しているのだ。そして「その支出の形態を考慮しない、人間の労働力の支出のただの凝固物」の「支出の形態を考慮しない」とは「労働」がいかなる労働であったかという規定を度外視する(捨象する)ということである。

 

③文について

「これらのものは、その生産において人間の労働が費やされ、人間の労働が蓄積されているという事実を表しているに過ぎない。」

「これらのもの」とは労働生産物のこと。労働生産物において示されているのは、それが「人間労働の蓄積物」であるということであり、商品としての労働生産物の在り方は、「労働の結果としてのもの」である。

 

④文について

「それら(労働生産物)に共通の社会的な実態の結晶として、それら(労働生産物)は-価値である。」

「労働生産物に共通の社会的実体」とは労働である。その労働の結晶として、労働生産物は価値である。労働の結晶は③文の「人間労働の蓄積物」であり、これが「価値」である。