資本論を読むことになってしまった

分からないことだらけの、この何ともいえないモヤモヤ感は・・・。

ベーム・バヴェルクの件(9)

引用が終わった後のベーム・バヴェルクのまとめ

Damit ist der Wertbegriff gefunden und bestimmt. Er(=der Wertbegriff) ist der dialektischen Form nach nicht identisch mit dem Tauschwert, aber er steht zu ihm, wie ich schon jetzt feststellen möchte, in der innigsten, unzertrennlichsten Beziehung: er ist eine Art begrifflichen Destillats aus dem Tauschwert. Er ist, um mit Marx’ eigenen Worten zu reden, „das Gemeinsame, was sich im Austauschverhältnis oder Tauschwert der Waren darstellt“, wie denn auch umgekehrt wieder „der Tauschwert die notwendige Ausdrucksweise oder Erscheinungsform des Wertes“ ist. (I. 13).

訳してみる。

価値の概念は、こうして見出され、決定される。その弁証法的形態によれば、それは交換価値と同一ではないが、今すでに確認したように、交換価値と最も緊密で不可分の関係にある。それ(価値概念)は交換価値の一種の概念的蒸留物である。それ(価値概念)は、マルクス自身の言葉を借りれば、「商品の交換関係や交換価値において表現される共通のもの」であり、逆に言えば、「交換価値は価値の必然的な表現様式や現象形態である」のである。

 

弁証法問題

「その弁証法的形態からすると、それ(価値概念)は交換価値と同一ではないが、今すでに確認したように、交換価値と最も緊密で不可分の関係にある。それ(価値概念)は交換価値の一種の概念的蒸留物である。」とベーム・バヴェルクは言っているが、かれにとって「同一ではない」にもかかわらず「最も緊密で不可分の関係にある」状態が弁証法的形態なのだろう。しかし、これではベーム・バヴェルクが価値をどのように理解しているのかが分からない。彼がやったのは、価値概念が弁証法というあやしげな方法で説明されたことを示すことだけなのだ。

彼の価値理解を確認する必要があるようだ。

(それにしても、「概念的蒸留物」は絶妙の比喩である。様々な規定が捨象され、さらにはマルクスが「凝固物」とかいっているので、なおさらこの比喩は読者の心をつかむだろう。でも、蒸留のイメージでは価値論を語れない。緑文字パラグラフで示したように、交換が成立したとたんに諸規定は見えなくなり、交換価値があらわれるという構造になっているのだ。)