資本論を読むことになってしまった

分からないことだらけの、この何ともいえないモヤモヤ感は・・・。

(20)Ⅰ版本文 パラグラフ5

Ⅰ版本文 パラグラフ5

①Der Tauschwerth erscheint zunächst als das quantitative Ver-

hältniss, die Proportion, worin sich Gebrauchswerthe einer Art gegen

Gebrauchswerthe anderer Art austauschen6), ein Verhältniss, das bestän-

dig mit Zeit und Ort wechselt. ②Der Tauschwerth scheint daher etwas

Zufälliges und rein Relatives, ein der Waare innerlicher, immanenter

Tauschwerth (valeur intrinsèque) also eine contradictio in adjecto 7).

③Betrachten wir die Sache näher.

 

①文について

「まず、交換価値は量的な関係として、すなわちある使用価値がそこにおいて他の使用価値と交換される比率として、時と場所によって絶えず変転する関係として現象する。」

ここは、パラグラフ4の「使用価値の在り方1」「使用価値の在り方5」に対応している。

この図において、「1コのリンゴ」と「2コのミカン」によってあらわされているものが交換価値だろう。別の言い方をすれば、「1・リンゴ」、「2・ミカン」という比を用いて表されるような大きさ、1:2という比において表された大きさのことである。(使用価値の在り方1に対応)そしてこの比率が「時と場所」によって左右されるのは当然のことである。ここでのリンゴやミカンのもつ使用価値を形成する「有用さ」はすでに歴史的・社会的なものとされたのであるから、使用価値は歴史的・社会的である。担い手としての使用価値のこの制約において、交換価値は歴史的・社会的ということになる。(使用価値の在り方5に対応)

 

②文について

「したがって交換価値は何か偶然的なもの、純粋に相関的なもののように見え、したがって商品の内部にある、内在的な交換価値(固有の価値)は形容矛盾であるように見える。」

erscheinenとscheinenについて

訳語ではerscheinenは「現象する」、scheinenは「~のようにみえる」となる。似たような単語だけれど、意味合いはだいぶ違っている。だから、①文で「交換価値は量的な関係として、・・・比率として現象する。」といった場合、本当に「量的な関係として」、「比率として」そこに現れ出ているといえる。これに対して②文で「何か偶然的なもの、純粋に相関的なもの・・・のように見える」といったときは、「そのような見え方をしているだけですよ」という意味だろう。つまり、「交換価値そのものの存在がとても不安定なものに見えるかもしれませんが、そんなことはないですよ」ということを言いたいのではないだろか。

パラグラフ4の②文にあったように、「商品体を、我々は端的に使用価値」と呼ぶのであり、使用価値の在り方5(商品体として交換価値は、交換価値がそこに現れる具体的な担い手である。)との関係で考えると、交換価値は商品の内部にあるといえると思う。

 

③文について

「我々は、さらに、事態を考察しよう。」

特に問題なし。