資本論を読むことになってしまった

分からないことだらけの、この何ともいえないモヤモヤ感は・・・。

「費消」、すまない! あなたをみくびっていた。

今回、また入院した際、病室に岩波文庫版『資本論』を持ち込む。入院が長引きそうなときはとにかく読み終わらない本を持ち込むことにしている。

最初から読むといろいろと気になることが出てくる。

以前、「費消」について誤植だと断言したが、どうやらそれは間違いだったようだ。

他の場所で「費消」が使われているのを発見したからだ。一ヵ所ではないということは意図的に訳語として使用しているということだ。

岩波文庫版『資本論』(向坂逸郎訳)の第1分冊P88の前から6行目にでてくる。ただし、これは第2版への注。しかも英語文献からの引用で、原語はcostである。以前の「費消」はvernutzenの訳だったが、意味的には近い。

おそらく、これからでてくる(消費Verbrauch、消費するverbrauchen)と区別するためにこの訳語にしたのだろう。

「費消」すまない。何十年も逃げ隠れしていたみたいに言ってしまった。

あなたをみくびっていました。

入院が重なるなあ。

昨年の12月中旬から今年の2月中旬にかけてのおよそ2か月、また入院してました。

以前患った肺炎が再燃。

まったく、なんてことだ。脳梗塞で6月に入院。やっと退院してリハビリやってたら、今度は肺炎ですと。

ステロイドで炎症を抑える対処療法しかない肺炎なので、前回の肺炎から徐々に薬を減らしてきていたのですが、振出しに戻って、また最初からです。

入退院を繰り返すたびに、活力といいますか、生命力といいますか、とにかくパワーが失われていく感じです。

こんな調子で、資本論読めるのだろうか。

脳梗塞(4) はっ?「現象学」だって!?

手のリハビリを担当している療法士さんのいうことには、私の体のうまく動かない状況を現象学的に解釈し、動く左側との差異を自覚することを通してリハビリを進めていくのだそうな。

その昔読んだフッサールメルロ=ポンティのことがよみがえり、リハビリがけっこうおもしろい。しかも、比喩ではなく現象学の用語で自分の状況を説明したほうが話がはやい。

脳梗塞の影響が言語などの高次機能にでなかったのは本当にありがたいことだと思う。

病気は「最悪」だが、こんなところで知的な刺激を受けるのは「最高」といったところ。

最悪だけど最高という変な状況である。

脳梗塞(3) 車、廃車しました。

右足の動き具合を考えて、車の運転をあきらめました。

瞬間的にブレーキを踏むなどということができそうにありません。

ひとさまを危険にさらすわけにはいきません。

ということで、廃車手続き完了。

 

JR、私鉄、コミュニティバスともに自宅の玄関を出て5分程度の位置にあるという恵まれた環境で生活しているにもかかわらず、自分の好きな時に動けないという点で不便は感じる。

車というのはほんとうに便利な道具だったのだと改めて感じている次第。

(31)Ⅰ版本文 パラグラフ8-3(久しぶりの資本論)

まず、②文、③文の多角形と三角形の捉え方から。

それぞれの多角形を三角形で表すと、それぞれ次のような表現で表せると思う。

ここでこの三角形は、それぞれの多角形に応じて異なる規定(大きさ、辺の長さ、角度、等々)を持っている。したがってこの表現では多角形の面積を定めることもできないし、比較することもできない。

そこで、この三角形を「das halbe Produkt seiner Grundlinie mit seiner Höhe(底辺と高さの積の半分)」を用いて表現すると(とりあえずこの表現であることを示すために△を用いることにする)、

2つの三角形の四角形 → 2△量の四角形(面積公式で表せる2つの三角形からなる

                                               四角形)

3つの三角形の五角形 → 3△量の五角形(面積公式で表せる3つの三角形からなる

                                               五角形)

4つの三角形の六角形 → 4△量の六角形(面積公式で表せる4つの三角形からなる

                                                六角形)

と表現できる。

2△、3△、4△はそれぞれ「ある大きさ」を示している。つまり、公式そのものには「大きさ」はないが、それを使って表現される三角形には「大きさ」があるということだ。そしてこのことによって多角形の面積を定めたということができる。さらに、「面積公式」という共通の表現様式に従って示されているので、比較可能だといっていい。

 

④文解釈

「同様に、諸商品の諸交換価値は、ある共通のものに還元されるのであるが、その諸交換価値がその共通なものに関して「多い、少ない」を表しているのである。」

(1) 青文字部分

◎ ②③文との対応関係を見ると、「共通なもの」は交換価値に対して外的である。

◎ ここで「共通のもの」は交換価値が由来するところのものとして開き示されていることになる。すなわち、交換価値はその「共通なもの」に還元されている。

(2) 赤文字部分

◎「共通なもの」が指し示す「多い、少ない」が交換価値において表現されている。

 

こんな読み方でいいのだろうか。

少なくともマルクスが「還元」の説明として三角形の具体例を叙述したとすると、大部分の問題は消えるように思えるのだが・・・

脳梗塞(2) 動かない関節をむりやり動かすと相当痛い。

私のマヒは、弛緩性のマヒ。脱力した状態で腕がだらりとぶら下がっていた。

他に緊縮性のマヒがあるらしく、入院時、腕をぎゅっと曲げた状態の患者さんがいた。

その方は腕を伸ばす訓練に歯をくしばって耐えている、という様子だった。

私の脱力系の腕も、手首に関してはほぼ曲がらない状態になっており、曲げようとすると激しく痛むという具合。痛みのレベルは、(体験した方ならわかっていただけると思うが)四十肩、五十肩の痛みに匹敵する。痛いのなんの。

ここで療法士さんのリハビリに関する考え方、経験の違いがはっきり表れる。

入院時のリハビリでは、わりと若い療法士さんで、動くようにすることを優先しているようで、いきなり曲げたり伸ばしたりを始めて、それはそれは痛い思いをしたのであるが、退院後リハビリだけになったとき、その道20数年の熟練療法士さんに担当が代わり、ずいぶん楽になった。

その道のプロは、とにかく最初に現状把握を徹底するようだ。足担当の療法士さんもその一人で、とにかく調べる、調べる。どこがどの程度動くのか、どの程度動かないのか、動くことを妨げているのは何か・・・等々。

新しい手の担当の人も、リハビリ2回分調べまくって、ノート何ページ分もメモをとっていた。

で、手首はどうなったかというと、「手首には何個か小さな骨があって・・・」などと言いながら、それをグリグリ、ギュッとしながら、手首を曲げたり伸ばしたり(小さな骨をいじりながらだと痛みがあまりないのだ!)していたら、たった1回で30度ほど痛みもなく曲がるようになったのだ!

すごい!

 

リハビリは誰が担当するかで結果が大きく違うということを体験した次第。

脳梗塞(1) けっこう大変です。

最終の投稿が6月13日。その2日後に脳梗塞で入院。

幸い、軽い方から2番目レベル。

それなのに、こんなに動かないのか。手や足がマヒするというのは、けっこう大変です。

今、こうやってキーボードをたたいてますが、右手は指を動かすというよりも、手を動かして指をキーの位置まで誘導しているかんじです。

入院後すぐにリハビリがスタートし、だいぶ動くようになったとはいえ、まだまだです。